昨日の中日新聞ほくりく総合から
北野 雅子(1941~2022年)金沢市 全日本ろうあ連盟元理事
https://www.chunichi.co.jp/article/871007?fbclid=IwAR3SUo31rRyKlHhaaxXOxH0uAQKvxOokSX-dGbyP0LdbOjcZFj951nMmL7s
※上記URLからを引用させていただきました。
手話通訳 普及へ情熱
幼い娘が大病を患った際、医師との会話に苦慮したことをきっかけに、手話通訳者の必要性などを訴えるろうあ運動にまい進した。通訳者養成などに加え、石川県の自治体に正職員の手話通訳者配置を推進。障害者や女性の地位が今より低い時代でも、柔和な人当たりと、揺るがぬ強固な意志を兼ね備える内剛外柔(ないごうがいじゅう)の人柄で、ろう者の地位向上に心血を注いだ。(柴田一樹)
「今日の公用語は手話。みんな恥ずかしがらずにおしゃべりしよう」。昨年11月に、金沢市武蔵町の手話が使える喫茶店「とまり木」で開かれた北信越地方の大学手話サークル交流会。障害の有無関係なく参加した6団体約30人の学生が「静なる会話」に花を咲かせる姿に、店主で北野の長女高美喜子(61)が目を細めた。「まさに母が望んでいた光景だと思う」
1941年に同市で生まれた北野。幼少期にかかったはしかが原因で耳が聞こえなくなった。結婚後、病気の次女を診察した医師との筆談だけの会話に限界を感じたことを契機に、手話通訳普及へ奔走。現在はとまり木となっている自宅に金沢大の学生を招き、手話の裾野を広げる一環として手話勉強会を開いた。勉強会は73年に、県内初の手話サークル「あての会」へ発展した。
手話通訳者養成や派遣事業などに取り組んだ後、人生の大半をかけて推し進めたのが、通訳者の行政職採用だった。役場などで意思疎通を代わりに担う通訳者の身分保障ができずにろう者の生活は守れないと考え、臨時職員ではなく正職員としての採用運動を展開。金沢市などに赴き、聞こえない自分との筆談だけでの会話は難しく時間がかかることを自治体職員に体感させ、通訳者の必要性を粘り強く証明していった。
「相手の話にも冷静に優しく耳を傾けながら、現状を変えたいという熱い情熱も持ち続けていた方でした」。県聴覚障害者センター施設長の藤平淳一(51)は振り返る。県全体に広まった運動の影響で、正職員の通訳者を採用する市町は増加。同センターなどによると、全19市町のうち約半数の9市町が正職員の通訳者を配置し、正職員が1市のみの富山県と比べても高い割合となっている。
高校生から高齢者まで、手話を学ぶ健常者でつくられるあての会は昨年50周年を迎え、創設者の北野には感謝状が贈られた。「聞こえない人と会話する喜び、新たな世界を教えてくれた」と元会長の門倉美樹子(62)。手話をもっと身近に-。北野の遺志はこの地に息づき、そして次世代へと受け継がれている。(敬称略)
【プロフィール】きたの・まさこ 手話通訳者の正職員採用を推進した活動は全国の先進例としても評価され、1983年には北信越ろうあ連盟長、88年には全日本ろうあ連盟理事に就任。97年に創設された石川県聴覚障害者センターの初代施設長も務めた。80歳で死去。
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