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2019/03/11

医師の無理解…勉ちゃんは息絶えた ろう夫婦決意の出産

今日は、決して忘れられない「3.11」。
8年の歳月が無情に流れてしまったが、
すごく痛み、涙が出てきそうな昨日付け京都新聞を紹介したい。

記事・写真の引用先
https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190310000076

「生む権利はわれらに!」

 滋賀県ろうあ協会の機関紙「湖国ローアニュース」昭和48(1973)年新春号に見出しが躍った。障害を理由に子どもを産ませようとしない社会の不条理を訴えるコラムだった。

 書いたのは石野富志三郎さん(66)=大津市。現在は、全日本ろうあ連盟(東京都)の理事長として優生保護法(1948~96年)下で不妊手術や中絶を強いられた聴覚障害者の実態調査を主導している。「勉(つとむ)ちゃんの存在は大きかった」。コラムに登場する夫婦の子が活動の原点だったと振り返った。

 ■双方の家族が「早く堕ろせ」

 機関紙記者だった20歳のころ、滋賀県湖北地域に住む七つか八つ年上のろう者の男性から相談を受けたことがある。家族から子どもをつくらないことを条件に、ろう者の女性との結婚を許されたものの、しばらくして妊娠が分かり、双方の家族から「早く堕(お)ろせ」と迫られていた。

 国は当時、「ろう」など複数の疾患や障害を「不良」と位置づけ、生殖機能を奪う断種や中絶を推進した。障害者を支える社会の仕組みが乏しいために、家族まで「障害があるのは不幸だ」と思い込んだ。

 「産むべきだ」。石野さんは疑問を持たなかった。親を説得するため湖北地域に向かった。3歳の頃、高熱を抑えるための薬が原因で聴力を失っていた。ボランティアが少ない時代に、初級レベルの手話通訳者が協力してくれた。

 「絶対産むな」。親は譲らない。「生活が苦しくなるぞ。言葉を教えられないのにどうするつもりだ」。脅しともとれる言葉が続く。何度も通った。そのうちに門前払いになった。

 「親と縁を切ってもいい」。妻はおなかに宿る命を守りたい。「そうだね」。男性も決心した。

 湖国ローアニュースがいきさつを取り上げた。「愛の結晶をつかもうとする姿に感動」と石野さんは率直にぶつけた。愛し合って結婚したのに、「自由を束縛されず、頑張らなければ人生が駄目になる」と訴える夫、妊娠7カ月の妻の姿。「基本的人権とは何か」を問う635字の記事だった。

 全日本ろうあ連盟の機関紙「日本聴力障害新聞」も、73年3月号1面で臨月を迎えた仲むつまじい夫妻の写真を添えて伝えると、ろう者の世界で大きな反響を呼んだ。長野県の女性が「先天性ろうは不幸な子ども。中絶可能な時期に見つけ出す研究はぜひ進められてほしい」(5月号)と投稿すると、山口県の男性は「音が聞こえないとか、目が見えないとかの不自由が、なぜ不幸に結びついてしまうのか」(8月号)と反論した。

 同年3月18日午前9時45分。産声が上がった。体重3200グラムの男の子。石野さんが夫妻に聞くと、「名前はもう決めたんだ。勉というんだ」。夫妻は賢くなってもらいたいという思いを込めたと手話で語った。

 当時、泣き声に反応して振動で知らせてくれる機器はない。夫妻に親族からの支援は見込めない。毎晩、夜泣きに素早く対応できるように、夫妻は交互に起きて勉ちゃんの様子を目で確かめ、あやした。

 しばらくして、石野さんは勉ちゃんが病気にかかったという噂を聞いた。手話通訳のいない病院の待合室で、どこに連れて行けばよいか分からず戸惑う妻の姿を、他のろう者が目撃している。

 後日、わずか5文字の手書きのはがきが届いた。

 「勉が死んだ」

 生後2カ月の訃報だった。

 ■医師のマスクで口の動き見えず

 滋賀県で暮らすろう者の福祉拠点、県立聴覚障害者センター(草津市)に、一枚板の看板が掲げられている。石野さんは、手彫りの力強さが伝わる文字を見るたびに、46年前を思い出す。当時の出来事を悔しさをにじませながら、手話で語り始めた。

 勉ちゃんの急死を告げるはがきを手に、石野さんは電車とバスを乗り継いで湖北地域のろう者の夫妻宅に駆けつけた。仏壇には遺影が置かれていた。「全て社会が悪い」。夫妻は怒りを隠さなかった。

 当初、勉ちゃんは軽い肺炎で体調を崩した。約1週間の入院を経て退院したが、再び高熱が出たため、妻は同じ病院に連れて行った。妻はろう学校で手話を禁止され、口の動きを読む口話教育をたたき込まれていた。ところが医師はマスクを着用したままで口の動きが見えない。「外していただけませんか」。筆談でお願いすると、なぜか医師は激高し、看護師に診察室から追い出された。

 容体が悪化する。夜、帰宅した夫が勉ちゃんのけいれんに気付いた。話せないので119番できない。病院に急行したくても、1973年8月まで聴覚障害者は運転免許を取得できず、夫妻は車を運転できなかった。夫は小さな体を毛布に包んで背負い、自転車で30分かけて病院へ向かった。勉ちゃんは息絶えていた。

 「社会を変えてほしい」。夫妻の怒りは、石野さんがろうあ運動に取り組む原点になった。悲劇を二度と繰り返さないために権利を主張し、「手話は命」との信念から手話通訳の制度化や手話言語条例制定に力を入れてきた。

 「勉ちゃんの名前は、重度障害のある私の長女智美(ともみ)と、同じく重度障害があり2011年に病気で亡くなった長男健史(たけし)と並んで忘れられない」。石野さんの手は震え、目から涙がこぼれ落ちた。

 石野さんは優生保護法という法律があったことを、宮城県で国家賠償請求訴訟が始まった昨年1月に初めて知った。調べると、同法は「遺伝性の難聴又(また)はろう」も対象にしていた。「怒りと衝撃がこみ上げた。障害者への差別は根強く、過去の問題ではなく、今日の問題として社会全体で考える必要がある。今こそ立ち上がるべきだ」と、すぐさま連盟に実態調査を指示した。

 対象は連盟の会員の範囲内にとどまるが、昨年12月末までに京都を含む24都道府県の男女136人が不妊手術や中絶を強いられたと証言した。滋賀県で証言に応じた人はいない。

 「証言には勇気が要る。恥ずかしさが先に出るから。悔しさを忘れてしまいたいのが本音だろう。でも、悔しさをずっと抱えたまま生きていくのは誰だって嫌だ」

 玄関の看板は、1995年の開所に合わせて彫刻師になっていた勉ちゃんの父が「恩返しに」と寄贈してくれた。石野さんは、この夫妻の悲劇を、ろう者が当時受けた差別の象徴と受け止めている。忘れてはいけない。決意を示すように掲げている。

 夫妻とは年賀状のやり取りを続けていた。6、7年前に連絡が途絶えてから、どこで、どう暮らしているのか、今となっては分からない。
  ◇
 連載<隠れた刃 証言・優生保護法> 国が「不良な子孫」と決めつけ、不妊手術や中絶を強いた法律があった。71年前、優生保護法は民主的手続きを経て成立、23年前に改正され強制不妊の規定がなくなっても、苦しみ、もがき、沈黙するしかない人たちが、今もいる。「優生」の意識は、私たちの心の中に「刃(やいば)」のように潜んでいるのではないか。教訓を未来への道しるべとするために、時代の証言を探した。
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私事で恐縮ですが、
全日ろう連の石野理事長と知り合ったのは、
私が就職した1982年4月に職場あて直筆FAXをいただいたのが始まり。
当時の石野氏は日聴紙編集部の職員であって、
ほどよい重量感の万年筆で書かれたような筆跡は覚えている。
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勉ちゃん一家が暮らした街(2月1日、滋賀県湖北地方)
 ↓
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